脱・従来型サロン≠フ是非を問う ポーラの新サロン戦略

核となる世代はどこに 切り捨て≠ヘ承知の上か


  ダイレクトセリング化粧品市場では、過去20年以上にわたって、脱・従来型訪販≠ある種の旗印に改革が進められてきた。 サロンビジネスの潮流が示すように、その取り組みが功を奏するケースも少なくなく、ブランドイメージの向上にも大きく寄与した。 翻ってニーズやライフスタイルが多様化した現在、サロンビジネス自体が大きな転換期に入っており、 脱・従来型サロン≠ニも言える動きが老舗を中心に活発化している。一方、その裏では、改革についてゆけないベテラン販売員の存在が見過ごされている。 また、メーカー主導によるブランド戦略も積極的に行われているが、バラつきの多い販売現場とのイメージの乖離も顕著になりつつある。

 

コロナ禍前は「まるでバブル


   「思い返せば、コロナ禍前の5年間は、バブルのようなものだったのかもしれない」。こう話すのは、ポーラの元販売員A氏。団塊世代のこの女性は、 今年に入って長年続けてきたポーラの委託販売員(ビューティーディレクター)を引退した。昭和の終わり頃にポーラを知り、化粧品の愛用者から販売員になった。 かつて、化粧品訪販の販売員といえば家庭の主婦が主戦力であったが、A氏はまさにモデルケースと言える。ポーラでは現在、 委託販売員の高齢化、それに伴う営業網の縮小が続いているが、A氏も多分に漏れず、コロナ禍を機に引退を考えるようになったという。 「70歳を過ぎたあたりから引退は頭の隅にあったが、コロナ禍前はとにかく忙しく、またお客様とのお付き合いも楽しくて、『当分は辞められないな』と思ってい (A氏)。コロナ禍前のポーラと言えば、初のシワ改善アイテム「リンクルショット」がチャネルを問わず大ヒットし、 その後各社がフォローアイテムを相次いで投入するなど社会現象を巻き起こした。実際、業績面でもピークを迎えており、 2018年12月期には、ヒットアイテムや当時のインバウンド需要を追い風に1500億円の大台を突破するなど、破竹の勢いだった(左肩の図表参照)。 2000年代前半から続けてきたサロンビジネスへのシフト、「B.A」や「リンクルショット」など高付加価値アイテムの投入、 2016年に行った委託販売員の名称改称(ポーラレディ↓ビューティーディレクター)に代表されるような組織改革、 これらが結実したのがコロナ禍前の数年だったと言える。
 元ポーラスタッフのB氏は、「ポーラは、本舗時代は昭和世代の化粧品≠ニいうイメージで、販売手法も相まって時代遅れ≠ニも思われていたが、 『ポーラ ザ ビューティー』や『B.A』によってブランドイメージをガラリと変えたことで、現代女性にも受け入れられるようになった」と述べる。一方で、 「平成時代で成功してきた手法が、令和の時代に入り、コロナ禍を境に通用しなくなってきた。最近のポーラの取り組みには、 その焦りが見える」と言及する。具体的には、サロン戦略の転換だ。

急な路線変更大量離脱の一因


 ポーラは現在、美容に高い関心をもつハイブランド志向の若年女性をメーンターゲットに据えた新サロン戦略を推進。

 

(続きは2024年10月10日号参照)