アシュラン「見せる施設」探訪B 地域貢献と平和への想い託し

出水見渡す丘の「摩耶像」太平洋戦争の戦没者をまつる


▲平和を願う金色の摩耶像
 本連載では、創業30周年の老舗化粧品企業であるアシュラン(本社・福岡県大野城市、東孝昭社長)の「見せる施設」について、鹿児島県出水市にある「出水酒造」と「ホテル泉國邸」という2つの施設を紹介してきた。出水市は東社長の出身地であり、「(アシュランの活動の成果を)会員や地域に還元する」という理念がさまざまなかたちであらわれている。今回は、出水市の歴史と、その歴史に対する東社長の想いについて触れる。

特攻隊員が飛び 立った旧出水基地


 連載1回目においても紹介しているが、出水市は、鹿児島県北西部に位置する人口約5万人の市で、ツルの渡来地として知られている。2021年には「出水ツル渡来地」がラムサール条約指定湿地に登録され、冬には多くの観光客が訪れ、アシュランの「見せる施設」の1つである「ホテル泉國邸」もこの時期が繁忙期に当たる。出水市はまた、薩摩武士が生きた町としても知られ、武家屋敷群などの「出水麓」は、2019年度日本遺産に認定されている。
▲建立の想いが記された石碑
 豊かな自然と由緒ある歴史を誇る出水市だが、昭和のある時代には異なる側面を見せていた。出水市には戦争中、海軍航空隊の訓練基地があった。「出水飛行基地」は1938年に建設され、1940年から飛行機の発着が始まった。1943年には「出水水軍航空隊」として開隊、教育航空隊として組織されていたが、太平洋戦争の戦局が悪化しつあった1944年からは実戦基地になり、鹿児島県知覧基地などの基地と同じように、出水基地から約200人の特別攻撃隊員が出撃し、散華した。現在、基地のあった場所は住宅やゴルフ場、自動車学校などとなっているが、基地の一部は「特攻碑公園」として残され、記念碑や特攻隊員像、地下壕、海中から引き上げられた戦闘機のエンジンなどが展示されている。特攻碑には、阿川弘之の小説「雲の墓標」の一文が、亡くなった特攻隊員の名とともに刻まれ、冥福を祈っている。また、地下壕は当時のままの完全体で残されており、鹿児島県では唯一実際に入ることができる施設となっている。また、公園内は衛兵塔や哨舎といった施設も残されており、当時の様子を窺い知ることができる。  特攻碑公園は、特攻隊員として散った若い命を祀る場所であるとともに、桜の名所としても知られており、毎年春には「いずみ桜まつり」が開かれ、桜を楽しむとともに、特攻碑に関する資料等のパネル展示も行われている。
▲約200人の特攻隊員をまつった特攻碑 公園

2018年に摩耶像を建立


アシュランの東孝昭社長は、さまざまな側面を持つ出水市の自然や歴史を、幼少の頃から間近に見てきた。化粧品企業の創業者として事業拡大を続ける傍ら、かねてから雇用創出や経済活性化など、さまざまな角度から地域活性化を思案してきたという。その一環として実現されたのが、本連載で紹介してきた「出水酒造」や「ホテル泉國邸」であり、地域の特色を生かしたものづくり、人材の創出を行ってきた。同時に、前出の太平洋戦争の痛ましい歴史を踏まえ、2018年6月には、南の空に散華した約200人の特攻隊員を慰霊するための摩耶像が建立された。

(続きは2024年6月20日号参照)